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構造計算書改ざん
2006.1
建築というのは人によっていろいろな考え方や見解があり、正解と言うものは無いし、答えが一つだけというものでもない。したがってコンクリート量や床面積あたりの鉄筋量の割合なども決まっているものではない。構造計画や荷重の設定、安全率の考え方などによって大きく変化する。
元来、建築基準法は建築物の最低の基準を定めているものであり、その分あいまいな部分も多い。このあいまいな部分は建築士の判断にゆだねられているものと解釈することができる。よって、立場や見解によるさまざまな法解釈が可能となり、それぞれの条件に合わせた建物を作ることが出来る。こうしていろいろなニーズに対応し、個々の利益を反映させた建物が可能となる。ただ、それぞれの建物に対する法解釈や考え方の原点は、その建物に住む人を含め、そこに関わるすべての人々の利益が反映されるか否かである。その建物を利用する人たちが不利益をこうむるというのは論外である。まして構造強度が極端に低い建物は建物ではない。
災害時に建物に逃げ込んで助かるのがあたりまえで、建物が凶器になってはならないという事は誰しもが考えることだと思う。したがって、誰も自分が手抜きをして危険な建物を作っているとは思っていないし、自分が設計あるいは施工した建物は安全でしっかりしていると言うのである。だから阪神大震災後、建築関係者が口をそろえて自分の関わった建物は被害が無かったと自慢していたのである。(自分が関わったものであろうが無かろうが建物が人を殺したという事実が重要で、そういう建築界に身をおいている限り自分にも責任の一端はあると思うのだが)わざわざ危険な建物を作る人などいないのである。怖いのは無知や技術不足で、自分では安全だと信じ込んでいても知識が乏しかったり知らないから手抜きや不良が発生する。
知ってて脆弱な建物を設計するとは。姉歯さんよ「今回の件は見解の相違で、これでも十分な耐力があるんです」と言ってくれ。そうしないと一般の人の信用するものがなくなってしまう。現在の法律では、木造の住宅などで延べ面積100uまでなら、誰でも設計できるし確認申請も出せる。もし施主自ら住宅のプランをして、それを大工さんがわざと手を抜いて建てるようなことになれば大変である。設計行為とはそういうことなのである。施主にとってはできあがったものを信用する以外にない。もちろん確認時の審査はあるが、確認はあくまでも確認であって合否を問う手続きや許可ではない。
役所や確認検査機構にとって、今回の件が想定外なのはあたりまえなのである。建築確認とは、施主がその責任において建築物を計画し、施主自身あるいは建築士を代理人として申請するものである。役所は申請建物が法に照らし合わせて支障がないかどうかを判断し確認する。決して一定の基準に対する適否を審査して合格証を発行するようなものではないし、個人が役所に対して建築を願い出て許しを請うものでもない。あくまでも建物は施主ないしは建築士の責任において建設されるものと考えるべきである。今回の件で危惧されることは、役所等が建築士のいろいろな考え方を統一しようとしたり、無理に正解を作り出したりすることによって建築の自由度が狭まることであろう。結果、建築基準法の大きな流れが変化し、それぞれの状件に合わせた考え方による建物、建主等の好みや予算に合わせた住宅等が立てづらくなることを最も恐れる。
そういうことを考えられるのが建築士というもので、それが存在価値だと信じている。
『大地の林檎』店舗作りの秘密−公開!!
2003年10月、大阪の空堀商店街に『サラダ&コロッケ 大地の林檎』がOPEN。
戦災を免れ、当時のの古い町並みを残す空堀商店街の一画を借りたお施主さんの依頼を受けての仕事でした。
店舗への改装を計画していると興味深い事実が!全てを一挙公開!!
こちらからどうぞ→
JR三ノ宮駅から見えるUCCのネオンサイン   
ネオンサインといえばパチンコ屋のチカチカ、ギラギラしたようなものしか目にしたことがなかったのでまさに「!」。
流れるようなやさしいネオンの移り変わりは“ゆげ”を表現しているのでしょう。
ネオンサインもこんな風に表現できるのだとしばらく見入っていました。




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